雪の丘

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パチパチと火花のはぜる音を立てながら、ゆるく薪が燃えていた。
薪はどれも枯れた小枝ばかりで、ところどころに固く絞った新聞紙が混じっていた。
その小さな灯火は囲む人間たちの姿をぼんやりと赤く浮かび上がらせ、静かに揺らぐ。
「それで」
火を囲んでいた少年の一人が口を開いた。
「俺の話だけど…」
夜闇にやけに映える、あちこちはねた黄色の髪が印象的な少年だった。
焚き火を囲んでいるのは三人。あとの二人は顔を上げて話に聞き入る。
明かりが下から少年の顔を照らした。彼は語り始める。
木枠の窓から隙間風が入り込み、がたがた、がたがたと部屋を揺する。
「旅人が道中、ある店に立ち寄ったんだ。しかしなんだか様子がおかしい。一見いつもと変わらない。
でもいつもいるはずの人の目の色が違う。空気が違う。匂いが違う。流れている音楽も違う。
何がおかしいのかと思って店の人に尋ねたんだ。そうしたら、その人はゆっくりと鏡を取り出した。
『ご覧ください』
だけど、そこには何もうつっていなかった。妙に思って『何もいませんよ?』と旅人は尋ねた。
鏡の中にはいつもどおりのその店の内装や客が行きかうのが映っていただけで、何の変哲も無かった。
その人は笑ってこういったんだ。
『よくご覧ください』
旅人がもう一度、その鏡を覗き込んだ。店の人は言った。
『なにもいません』
確かに何もいなかった。そう、覗き込んでいるはずの旅人の姿さえも映っていなかったのだ。

『あなた、バグっていますよ』旅人が顔を上げると…

 そこは大量のゴースであふれていたんだ」


隙間風が、焚き火の炎を揺らした。
数秒の間を待ち、火を囲んでいた少年の一人、ダイヤが小さく息を吐いた。それは白くにごり、すぐに消えた。
雪の丘に立つロッジは旅の途中で自由に休めるように建てられてはいるが、整備は甘く、相変わらず風が吹き込んでいた。
「オチが今いちだねえ」
目を細めてにやにやと、今の話をした少年、パル助を見やった。
「今のだとすぐにポケモンセンターの話だって解る」
「うるさいな、話せって言ったのお前だろ」
パル助が口を尖らせると、続いてもう一人、話を聞いていたパル子が肩まである髪を揺らしながら頷く。
「せめてゴースじゃなくてゲンガーだったらもうちょっと怖くなったのに」
「いやそれは違うと思うぞ」
間髪いれずにパル助は突っ込む。不服そうな表情をよこすパル子を軽くいなし、ぱんと手を打つ。
「じゃあ次はお前のばんだ、ダイヤ」
「えー、わたしは?」
またもや心外だと言わんばかりにパル子は噛み付く。パル助はあごで彼女を指しながら言う。
「だってお前が話すと絶対フワンテと自分の話になるだろ?怖くないし」
「…言いだしっぺなのに話させてもらえないだなんて…」
真冬に似つかわしくない怪談話をしようと言い出したのは、ほかならぬ彼女だったのである。
しょげた声を出しながらも、自分の話が怖くなくなってしまうことは容易に想像ができてしまい、それがまた悔しくてパル子は口をつぐんだ。
ダイヤはそんな二人を眺めながら頬にかすかな笑みを浮かべ、じゃあ、と切り出す。
「ゲンガーの話をしようかな」
「え?」
下を向いていたパル子がぱっと顔を上げる。「ゲンガーの?」
「そうだよ」
にこりと笑うと、ダイヤは続けた。ちらちらと舞う火の粉が、彼のこげ茶色の髪に散っては消えていった。
がたがた、がたがた。隙間風は吹き込むことをやめず、執拗に木枠をゆすっている。
「ゲンガーの話だ。僕は前にもここに来たことがあるんだけど、このロッジにはゲンガーがいたんだ」
きょとんとしてパル助はダイヤを見る。
「まさか…それが話か?」
「これからだよ」
自分のそばにあった枯れ枝を一本拾い、おざなりに焚き火の中へ突っ込むと、ダイヤは腕を組んだ。
小さな音を立てながら枯れ枝は炎を広げ、ゆっくりと燃えていった。
パル子がひざを抱えなおし、パル助が頬杖をつくと、ダイヤは静かに口を開いた。


このロッジには昔、ゲンガーが住み着いていた。なぜかと言うと、トレーナーに捨てられてしまったんだ。
正確に言うと捨てられたのではなくて、離れ離れになってしまったんだけどね。
彼は攻撃技は苦手だったけれど、トレーナーが一生懸命覚えさせた「みがわり」という技が得意だった。
数々の戦いをそれで切り抜けて、たくさん勝利した。「みがわり」が彼の唯一無二の技だったというわけだ。
トレーナーも得意になってしまったんだろうね、「みがわり」ばかりさせる毎日だったんだよ。
しかし困ったことがおきた。ある日、雪の丘で遭難してこのロッジに避難した。
そのゲンガーは「みがわり」しかできなかったものだから、ぜんぜん役に立たなかったんだよね。
トレーナーも消耗して苛々しているし、とうとう「他にはできないのか」といってしまったんだ。
ゲンガーは必死になって技を繰り返した。でもできるのは「みがわり」だけ。延々みがわり。ずっとみがわり。
「みがわり」ってHPが半分になるだろ?ずっとそれを繰り返すとどうなると思う?
結局、彼の体力は尽きて、あたりは「みがわり」だらけになってしまった。トレーナーは愕然としたよ。
あたりが「みがわり」だらけになってしまったせいで、もう自分のゲンガーがどれか解らなかったんだから。
朝になって結局彼はわからなくて、悲しみながら、仕方なくひとりの身代わりを連れて出て行った。
ゲンガーはそのままここに残った。
その後、このロッジにとまった他のトレーナーが、そのゲンガーをみつけて、喜んで連れて行こうとしたんだけど、だめなんだ。
もちろんゲンガーは喜んでついていこうとするんだけど、喜びすぎて自分の「みがわり」を見てもらおうと乱発してしまってね。
トレーナーとの一番の得意技だった「みがわり」をさ。
結局あたりはまた、おんなじように身代わりだらけになってしまって、どのトレーナーも彼を連れて行けないんだ。
そのまま、ずーっと今まで、彼は誰にもついていけず、今もみがわりを作って生きているんだ。


「ずーっとね」
がたがた、がたがた、がたがた、がたがた、「ずっと、ね」


「ぎゃああああ!!!」
「え?!な、なんだよ?!」
パル子が絶叫し、パル助はその声に恐れおののいた。彼女が声を上げたのはダイヤがそっと懐に手を入れ、その場にゲンガーを出したせいだ。
ゆらりと光るゲンガーの両の目が彼女をとらえ、ぬめりとした妙な視線が、まさに体に絡みつく感覚を与える。
「いいでしょ、最近捕ったんだ」
いたずらっぽい笑みをダイヤは浮かべ、ゲンガーとにこりと笑いあった。
語り終わったダイヤは腕を解き、まだあわてている彼女の反応をうれしそうに眺める。
「どう?」
「や…やめてよ視覚的には反則だよ…」
か細くパル子が声を出した。搾り出すようなその声は、心なしかまだ震えていた。
それでも、ものめずらしいのか手を伸ばし、ゲンガーの頭をぺたぺたとなでながら言葉を続ける。
「でもなんか、悲しい話だね」
落ち着いたのか、なでる手を止めて、彼女は視線を落とした。
「頑張ってるのに、気づいてもらえないなんて」
ダイヤは今度は何も言わずに、唇だけで笑って見せた。

「…まあ、よくわかんない話だけどな!」
パル助はパル子の絶叫にあまりに驚いたせいなのか、かたかたと手を震わせながらも取り繕う様子が丸解りだった。
「パル助も怖かった?」
「怖いわけあるか!ただの昔話じゃんかよ」
きつく否定し、パル助はダイヤから目をそらす。ごろんとそのまま後ろに倒れ、「さ、ねよーぜ!なんか疲れたし!!」という様子は、どうみても怖かったようだ。
ひざにかけていた毛布を一気に頭までかぶり、「おやすみ!!」と告げる。
「パル助も怖かったんじゃーん」
にやつきながらパル子は彼をつつくが、こちらはもう恐怖を忘れているようでいい気なものである。
「お前も早く寝ないとねれなくなるぞ!もうトイレなんかついてってやんねからな!」
毛布の中からパル助は叫び、
「私がパル助のトイレについていってあげたことしか覚えてないよ」
しれっとパル子は言い返した。返事は無い。
ダイヤがくすくす笑いながらこちらも寝ようと促し、パル子も毛布をひっかぶる。
焚き火の周りの、緩やかなぬくもりが浸透して眠気を誘う。ゆっくりと。眠りにつくのに時間はかからなかった。


「そう」
灯火の失せた暗闇の中で、その声はつぶやいた。
「『今も』、ね」



空が白み始め、太陽の天辺が見え始めたころ、パル子は目を覚ました。
ぼんやりとした頭のまま、いつものとおり洗面所に顔を洗い、まださめない眼でトイレのドアに手をかけた瞬間、妙な感覚にとらわれてその手を止めた。
「あれ?」
手の甲でまぶたをこすって、朝の光にあふれた廊下を見渡す。
窓ガラスは外にずっしりと積もった雪が太陽を反射し、妙にまぶしく、ロビーのようなそこには椅子がいくつも据えつけられてあった。
反対側を見ると、病院のようなカウンターがあり、中では髪を二つに結わえた女性が何か支度をしていた。彼女はこちらに気づいて声をかける。
「おはようございます、早いですね」
パル子は夢でも見ているかのような気分で、つぶやいた。
「ジョーイ…さん…」
もう一度あたりを見回す。そこは紛れも無く、ポケモンセンターであった。
「あの…」
まだ目の前の状況が飲み込めないパル子は、ジョーイさんに声をかけようとして、途中でやめた。
廊下の向こう側から、大あくびをしながら頭をかいてやってくる黄色い頭が見えたからだ。ほっと息をついて、駆け寄る。
「パル助、ダイヤは?」
パル助はあくびでうっすらと出た涙をぬぐいながら不思議そうな声を出した。
「なにいってんだ、お前?」
「なにって…昨日、ダイヤと三人でしゃべったでしょ」
「…?いつの話だ?昨日はたまたまお前とここであって、そのまま寝たろ?」
面倒くさそうに彼はかえす。
ふと、夕べのことをパル子は思い出した。自分もパル助も道なりにあったポケモンセンターでシャワーを浴びて、今の今まで寝ていたのだ。
確かにそうだったような気もする。何か釈然としないものを感じながら、再び彼に尋ねた。
「ゲンガーを見せてもらったりしたのはいつだっけ?」

「なんか悪い夢でも見たのか?」
パル助は今度は、どうかしたのではないかというような、真剣な顔で返事をした。
「あいつ、ゲンガーなんかもってないぞ?」


がたがた、がたがた、がたがた。隙間風は今も部屋の中に吹き付ける。
そのロッジの住人は今でも雪の丘で誰かを待っていた。
覚えたんだ、新しい技を。

FIN


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